ダウンロードは以下から
↓↓↓↓↓


 『いろは歌』の作者である日新公は伊作島津家九代善久の長男で、島津忠良といいます。母は新納是久の娘で、常盤夫人。明応元年(一四九二)九月二十三日、伊作亀丸城で出生しました。
忠良は幼少より聡明にして剛毅の気性に富み、母常盤夫入は伊作海蔵院の名僧頼増和尚にあずけ学問を修めさせました。
 忠良は神仏の崇敬も篤く、桂庵禅師の学風を受け継ぐ高僧舜田舜、有らと交わり、自ら『在家菩薩』と称しました。
 忠良は『四書五経』を学び、中でも『朱子学』を重んじ、禅宗をきわめた文武両道の名将で、神仏儒の三教を良く学び『薩摩学』又は『日学』を提唱しました。その内容は忠孝仁義を基に実践を重んじました。もともと、朱子学は陽明学の流れを汲む行動の哲学で、この学問により『薩摩士風』の教化を図り、島津家中興の祖として、その基礎を築きました。
 引退した忠久は天文二十一年(一五五二)、生きながら葬式を出す生茶毘往生
を行い『愚谷軒日新斉』または『梅岳常潤在家菩薩』と称して剃髪しました。永禄十一年(一五六八)十二月十三日、加世田で没しました。七十七歳でした。

 日新公の『日新』の出典は、『四書五経』の一つで『大学』によっています。
          “まことに日に新たに、又た日に新たなり”
 今日の行いは昨日よりも新しくよくなり、明日の行いは今日よりも新しくよくなるように修養に心がけねばなりません。殷の湯王は、この言葉を洗面の器に彫り込み、毎日の自戒の句としたといわれております。日新公もこのような故事に倣い、自らの諌めとして『日新』と名乗りました。

 日新公『いろは歌』は神仏儒の三教に通じ、領内の家臣団の指導と教育の充実を図るため、その意義を理解しやすいように、覚えやすいように“いろは、四十八の順“に読み込んだもので、郷中教育などの精神修養に多大な影響を与えました。日新公が亡くなって四百四十年、今も『いろは歌』の教えは錆びることはありません。これからも歌い続けていかなければならない、先人の精神的文化遺産です。

い  いにしへの道を聞きても唱へても わが行いにせずばかひなし
昔の賢者の立派な教えや学問も口に唱えるだけで、実行しなければ役に立たない。実践実行がもっとも大事である。

ろ  楼の上もはにふの小屋も住む人の 心にこそはたかきいやしき
大きなお城に住む身分の高い人、金持ちでも心が卑しかったら尊敬できない。貧しく小屋に住む人でも、心が清く正しく高尚であれば真に仰ぐべき人である。心のあり方によって人の真価が決まるのであるから、心を正しくもて。

は  はかなくも明日の命をたのむかな 今日も今日もと学びをばせで
用があるといって明日にのばし、明日はあすとて疲れたといって次に延ばし、一向に勉強せずに日々を送るのは心得違いである。毎日毎日勉強せよ。

に  似たるこそ友としよけれ交らば われにます人おとなしき人
友人を選ぶ時は、自分と似ている者を選びがちだが、自分を向上させるためには自分より優れた見識を持つ人を友とするのが良い。

ほ  ほとけ神他にましまさず人よりも 心に恥ぢよ天地よく知る
神も仏も自分自身の心のありようと同じものである。他人よりも自分の良心に恥じよ。他人が知らないと思って恥知らずになってはいけない。天地神仏は全てのことを見通している。良心を恐れよ。

へ  下手ぞとて我とゆるすな稽古だに つもらばちりも山と言の葉
自分がいろんなことに下手だと卑下して努力を怠ってはいけない。稽古さえ積めば少しづつ進歩して、遂には上手になれる。ちりも積もれば山となるとのたとえもあるではないか。

と  科ありて人を斬るとも軽くすな いかす刀もただ一つなり
科(罪)のないものをもちろん切ってはならないが、たとえ罪があってその人を死刑を行うにあたっても、軽々しく行ってはいけない。殺人剣も活人剣も君主の心一つで決まるものである。

ち  知恵能は身につきぬれど荷にならず 人はおもんじはづるものなり
知恵や芸能は身につけても荷にも、邪魔になるようなものでもない。多くのものをならって上手になるべきである。世の中の人はその人を見て尊敬し、かつ己の及ばないことを恥じるであろう。

り  理も法も立たぬ世ぞとてひきやすき 心の駒の行くにまかすな
道理が通らず法も行われない乱世であっても、自分ひとりは正道をふんで克己心を奮い起こして正義と人道を守り通せ。自分の心の向くままに自暴自棄になって勝って放題するものではない。

ぬ  ぬす人はよそより入ると思うかや 耳目の門に戸ざしよくせよ
盗人は他所から入ってくると思っているかもしれないが、本当の意味での盗人は耳や目から入ってくるものだ。目や耳によく戸締りをせよ。人の心の良知良能を良く保護、育成しなさい。心の鏡を磨き誘惑を退けよ。

る  流通すと貴人や君が物語り はじめて聞ける顔もちぞよき
たとえ自分がよく知っていることでも目上の人の話は、初めて聞くという顔で聞くのがいい。決してその話は知っていることを言葉に出したり、顔に出したりするな。

を  小車のわが悪業にひかれてや つとむる道をうしと見るらん
人はおのおのその職分を守って人は人たる道を尽くして行くのであるから忠実にまじめにその業に務めるべきである。にもかかわらず、これをつらいことと考えるのは、わがままの情欲にひかれて転退している証である。

わ  私を捨てて君にし向はねば うらみも起り述懐もあり
君に仕えるには全く一身をささげて我を捨てなければ、恨みも起こり不平不満もでる。自分の一身をささげて君に仕えよ。昔の武士が馬前に命を落とし殉死したのはこの考え方に従ったものである。

か  学問はあしたの潮のひるまにも なみのよるこそなほ静かなれ
学問をするには朝も昼も間断なく修めなければならない。夜が一番いい。

よ  善きあしき人の上にて身を磨け 友はかがみとなるものぞかし
人は自分の行いの良し悪しを知ることは難しいが、他人の行いの善悪はすぐに目に付く。日ごろ交わる友人を見て良いことはこれを見習い、悪いことは反省せよ。ソシテ自分の徳性を磨け。

た  種となる心の水にまかせずば 道より外に名も流れまじ
私利私欲にかられて世の中の事を行えば、道に外れて悪い評判もたつ。この悪の種を刈り取って、仏の教えに従って正道を行え。
れ  礼するは人にするかは人をまた さぐるは人をさぐるものかは
礼を人に尽くすことは人に尽くすことの他に、自分を正しくして己を敬うことである。天を敬って己を慎む心を養え。

そ  そしるにもふたつあるべし大方は 主人のためになるものと知れ
臣下が主人の悪口を言うののは二通りある。主人を思うあまり言う悪口と自分の利害から来る悪口である。主人たるものは良く判断して自分の反省の資とすべきである。

つ  つらしとして恨みかへすな我れ人に 報ひ報ひてはてしなき世ぞ
相手から仕掛けられたことがどんなにつらくても相手を恨みを返してはならない。次から次へと恨みが続いていきよくないことである。恨みには徳を持って対処すべきである。

ね  ねがはずば隔てもあらじいつはりの 世にまことある伊勢の神垣
偽りの多い世の中、伊勢の皇太神宮は偽りのない神である。正しいものは正しく、曲がったものは曲がったようになさる。願う側が心の内に無理な願いを思い起こさねば分け隔てなく願いをかねえてくれる。

な  名を今に残しおきける人も人 心も心何かおとらん
後の世に名をのこした名誉ある人も、人であって我々と違いはない。心も同じであるから我々とて及ばないということはない。勇気を出して奮起して頑張ることが必要である。日新公の自戒の歌であるとともに励ましの言葉。

ら  楽も苦も時すぎぬれば跡もなし 世に残る名をただ思ふべし
楽しいことも苦しいことも永久的なことではなく、そのときが過ぎれば跡形もない。その困難に耐えて自分の節を曲げず、世の為国のために一身を粉にして尽くすべきである。ただ後世に名声をのこすことを心がけよ。

む  昔より道ならずしておごる身の 天のせめにしあはざるはなし
昔から道に外れておごり高ぶった者で天罰を受けなかったものはない。人は正道をふんでおごりを遠ざけ、神を敬い教えを守っていきなさい。

う  憂かりける今の身こそは先の世と おもへばいまぞ後の世ならん
いやなことの多い現世は前世の報いの結果である。現世の行の報いは後の世の姿である。現世の行いを大切にしなさい。仏教は因果応報の教えを説いている。

ゐ  亥にふして寅には起くとゆふ露の 身をいたづらにあらせじがため
亥(午後十時)に寝て、寅(午前4時)に起きると昔の本に書いてある。朝早く起きて夜遅く休むのも、それぞれの勤めを果たすためである。時間を惜しんで勤労すべきである。

の  のがるまじ所をかねて思ひきれ 時に到りて涼しかるべし
君がため国のため命をかけなければならないときがやってくる。日ごろから覚悟を決めておけば、万一の場合にも少しの未練もなく気持ちが清らかであろう。武士の平生の覚悟を諭したもの。

お  思ほへず違ふものなり身の上の 欲をはなれて義を守れひと 
私欲を離れて、正義を守って行動せよ。私欲を取り去って心の鏡を明らかにすると迷うことはない。私たちは私利私欲の闇に迷い込みやすいから用心して心を磨きなさい。

く  苦しくとすぐ道を行け九曲折の 末は鞍馬のさかさまの世ぞ
どんなに苦しくても、悪事を行ってはいけない。正道をいきなさい。鞍馬のつづら折の道のように曲がった道を歩んだものは、まっさかさまに闇の世界に落ち込むような目にあうものである。心正しい正道を歩みなさい。

や  やはらぐと怒るをいはば弓と筆 鳥にふたつのつばさとを知れ
穏やかと怒るをたとえれば、文と武である。これらは鳥に二つの翼があるように自由に飛ぶために必要な二つの要素である。どちらか欠いても役に立たない。寛厳宜しく使い分けて政治を行うべきである。

ま  万能も一心とあり事ふるに 身ばし頼むな思案堪忍
ことわざに「万能一心」というのがある。いかに万能に達するとも一心が悪ければ役にたたない。君に仕えるためには、自分の才能にたのんで自慢めいた言動をしてはならない。良く思案して堪忍して使えることが必要である。

け  賢不肖もちひ捨つると言う人も 必ずならば殊勝なるべし
賢者を登用し、愚か者を遠ざけて政治を行えば、口に唱える人もその言葉どおり実行できるならば誠に素晴らしいことである。実行はなかなか難しい。

ふ  無勢とて敵をあなどることなかれ 多勢を見ても恐るべからず
少人数だからといってあなどってはいけない。また大勢だからといって恐れるに足りない。敵の強弱は人数ではない。味方は少人数でも一致団結すでば大敵を破ることができる。

こ  心こそ軍する身の命なれ そろゆれば生き揃はねば死す
戦いにおける教訓。衆心一致すれば勝ち、一致しなければ敗れる。

え  回向には我と人とを隔つなよ 看経はよししてもせずとも
死者を弔って極楽往生を祈るには敵味方分け隔てなく、等しく祈りなさい。読経するもよし、しなくてもよいのである。日新公は敵味方の供養搭を建て冥福を祈られた。

て  敵となる人こそはわが師匠ぞと おもひかへして身をもたしなめ
敵となる人はもともと憎むべきものであるが、考えてみれば反面教師のようなものである。すなわち手本ともなるものである。敵にも慈悲の心を忘れずに、自重自戒せよ。

あ  あきらけき目も呉竹のこの世より 迷はばいかに後のみやぢは
光あふれる世界である現世でさえ迷っているのに、死後の闇の世界ではますます迷うだろう。早く仏道を修めて悟りを開け。

さ  酒も水流れも酒となるぞかし ただ情あれ君がことの葉
酒を与えても水のように思う者や、少しの酒で奮い立つ例もある。要は与え方の問題である。人の上にたつ者は思いやり深く、情け深くあれという歴代藩主の教訓。

き  聞くことも又見ることも心がら 皆まよひなりみな悟りなり
我々が見聞するものは、全て受け取る側の心がけ次第で迷いになったり、悟りになったりするものだ。常に優れたものを受け入れる心構えをしておくことが必要である。

ゆ  弓を得て失ふことも大将の 心一つの手をばはなれず
弓矢の道に優れて、士卒に信服され、戦に勝も負けるもただ大将の心の配り方ひとつにかかるものである。

め  めぐりては我が身にこそは事へけれ 先祖のまつり忠孝の道
先祖を良く祭るものは、死後においては子孫が良く祭ってくれる。君父に忠孝なればなれば、子孫もまた忠孝を尽くす。世の中は回りまわるののであり自分に帰ってくるから先祖の祭りや忠孝にはげむべきである。

み  道にただ身をば捨てむと思ひとれ かならず天のたすけあるべし
正しい道であれば一身を捨てて突き進め、そうすればかならず天の助けがあるはずである。

し  舌だにも歯のこはきをば知るものを 人は心のなからましやは
舌でさえその触れる歯の硬いことを知っている。ましてや人においてはなおさらなことである。交わる相手の賢寓、仁不仁を察する心がなくてはならない。世を渡るには人の心の正邪善悪をわきまえて、用心が必要である。

ゑ  酔へる世をさましもやらでさかづきに 無明の酒をかさぬるは憂し
この迷いの世の中、その上に杯を重ねて酔いしれ、迷いの上に迷いを重ねて歩くのは情けないことである。

ひ  ひとり身をあはれと思へ物ごとに 民にはゆるすこころあるべし
たよる者がない老人、孤児、寡婦に対しては情けをかけて一層いたわれ。人民に対しては仁慈の心で寛大に接しなさい。

も  もろもろの国や所の政道は 人に先づよく教へ習はせ
治める国や村の掟は、まず人民に良く教えさとした上で政治を行え。教えないで法を犯したものを罰するのは不仁の仕方である。よくよく知らせて刑に落ちないように気をつけよ。

せ  善に移り過れるをば改めよ 義不義は生れつかぬものなり
善にうつり、過ちは改めよ。元来、義不義は生まれつきのものではない。心のありようで義にも不義にもなる。悪いと気づいたらすぐに改めよ。

す  少しきを足れりとも知れ満ち ぬれば 月もほどなく十六夜のそら
十の内7か8をもってよしとせよ。満月の次の夜の十六夜の月は欠け始める。足るを知って楽しむ心が大事である。知足安分の教訓を持って47首の締めくくりとした。首尾一貫薩摩藩教学の経典である。